日本史 2017 5 21

書名 歴史周訪ヒストリア 羽生・行田・加須
著者 高鳥 邦仁  まつやま書房

 なぜ、埼玉県羽生市、行田市、加須市なのか。
多くの人は、そう思ったでしょう。
 実は、私は、戦国時代の武将で名将と知られる、
上杉謙信の関東平野での戦いに興味を持っていたからです。
 グーグルで、関東平野と入力して、地図を選び、
さらに航空写真を選択して、広域にすると、
関東平野から、上杉謙信の拠点だった新潟県上越市まで視野に入ります。
 戦国時代の武将ならば、誰でも、
広大な平野である関東平野を手に入れたいでしょう。
 新潟県上越市から大軍を率いて関東平野を目指すとなると、
長野県を通過して、前橋市や高崎市付近から、
関東平野に攻め込んだと考えました。
 そうすると、小田原市を拠点とした後北条氏の勢力と衝突することになります。
後北条氏は、関東平野へ勢力を拡大していたからです。
 上杉謙信と後北条氏の合戦は、
おそらく、埼玉県北東部で、大きな戦いとなったのではないかと推定していました。
 そこで、埼玉県羽生市、行田市、加須市の歴史が重要になるのです。
この推定は、当たっていました。
 上杉謙信と後北条氏の勢力は、この地域で、激しい戦いを繰り返していました。
関東の武士、武蔵の武士たちが、巨大な兵力の上杉軍と戦ったのです。
著者は、まるで映画のように、当時の合戦を文章で再現しています。
 上杉謙信といえば、戦国時代の名将として知られますが、
関東平野の戦いでは、苦戦したようです。
 今でこそ、関東平野は、肥沃な大地として知られますが、
当時の関東平野は、湿地帯や沼地が多く、攻めにくい地域だったのです。
 上杉謙信と関東武士の合戦の場となった、
騎西城、油井城、羽生城、忍城は、今となっては、
「夏草や兵どもが夢の跡」という俳句を思い出させます。
 この大きな合戦は、軍事的に見れば、重要な戦いだったにもかかわらず、
日本の歴史から注目されず、「夏草や兵どもが夢の跡」という状態です。
 兵法から見れば、どう攻めれば正解だったのか。
日本の場合は、戦争史の専門家が少ないので、
正解をめぐって議論も少ないのです。
 日本の歴史に残る名将だった上杉謙信は、関東平野への進出をあきらめたのです。
20世紀になると、関東平野は、世界的にも空前の繁栄を遂げたのです。
 もちろん、上杉謙信は、関東平野の重要性は理解していたと思います。
大軍を率いて、二度も攻め込んだのですから。


























































































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